その調子で、その頃は冬でも真っ黒に日焼けしてしていました。
そのおかげもあってかテニスで中央大学選抜チームに選ばれたのが大学時代の嬉しい思い出です(ちょっとだけ自慢です(笑))。
大学卒業直前にバブル経済が崩壊してしまいましたが、なんとか東京の一部上場部品メーカーに就職しました。
そこでは国際営業部という部署に配属されて、入社早々から何もわからず!?海外を飛び回っていました。
その頃は、身振り手振りで外国人と商談していましたが、今考えると我ながら大した度胸だと今頃冷汗が出てきます(苦笑)。
また、自社工場で夜中まで工場の従業員さん達に混じってしょっちゅう製品のバリ取りを山ほどしてたことも、楽しい思い出です。
その後、英語を活かして転職し、社団法人の国際部に配属されました。
そこでは、海外取引の担当として、毎晩終電まで残業に追われていました。同じ部署の仲間と残業中の夜中にしょっちゅう宅配ピザを注文して、ワイワイと食べていたことが楽しい思い出です。
また、多くの国際会議に出席する機会にも恵まれて、海外の友人との交流はとても勉強になりました。
しかし、ホンネを言うと、その頃は常に睡眠不足で大変でした。夜中に帰宅したあとも、目覚まし時計をいくつもセットして寝ていました。と言うのも、時差のある国に直接自宅から電話をしなければならなかったからです。日本の夜中に朝を向かえる国もたくさんあるので・・・(汗)。メールでは済まない案件が多かったこともその理由です。その頃の経験で、精神的にかなり鍛えられたような気がしましす。
その後、大手菓子メーカーの社長室人事部と東京千代田区の社会保険労務士事務所での勤務を経て、社会保険労務士事務所を開業しました。
父親が「自営業として自分の腕一本だけで家族を養っていた」ということがどれだけ大変なことか、それを自分が社会人になり改めて実感しました。
その影響もあって、「法律に守られない社長」を手助けすることを目標に掲げて、社会保険労務士として開業することを決意しました。
開業後は、「お客様が満足しているかどうか?」を全てのサービスの原点と位置付けて、社会保険労務士業をサービス業のひとつと考え、所内すべての力をお客様の満足のために注いでいます。
そのために、お客様とのコミュニケーションが最も重要であるいうことを所内で共通な認識を持ったうえで、積極的な企画提案型のサービスに努めています。
具体的には、手作り事務所ニュースを毎月発行、手作り小冊子を作成・配布、セミナーの開催を私どものサービスの3本柱としています。
これは 、忙しい社長様にできるだけたくさん情報をお渡しすることで、社長様の空いた時間にそれを読んでいただくことができて、加えてそれによってその時々の社長様の考えや気持ちや興味などを少しでも理解したいと考えているからです。
この3本柱を手段として、おさだ経営労務管理事務所は、所長の信念(『お客様へのサービスはオーダーメイドであるべき』)の実現を目指しています。
現在開業して6年目を迎えましたが、まだまだこの信念の実現には遠く及びません。
しかし、今後もこの目標にに向かって、一歩一歩でもお客様と共に成長していきたいと思っています。
【将来の目標】
軽井沢に別荘を建築。日頃の感謝を込めて顧問先の社長様ご家族とその従業員様に福利厚生として利用してもらう(2023年までに)
おさだ事務所が効果のあった営業方法・マーケティング方法をお客様に提供して、それをお客様の会社の戦略に役立ててもらう(2018年までに)
顧問先社長様同士の情報交換の場を提供。相互の業務(特に異業種同士)に良い刺激を与える手助けをする(2014年までに)